2014年2月7日金曜日

幸福論(幸せとは)


 先日「幸せとは」というテ-マで幸福論が論じられていました。有名な作家や大学教授など、四人の論客が出演していました。

四人の論客が述べた幸せとは

「人の痛みがわかること」

「本当を確かめあうこと」

「愛する人の幸せを願うこと」

「断念ののちの悟り」でした。

幸せとは何でしょう。以前ブログに書きましたが、カバの子がお父さんに「生きるってどういうこと?」と質問するのですが、この問いに答えるのも難しいことです。これと同様に「幸せとは何か」の答も非常に難しいと思います。

 私の住んでいる地域に大きな宗教法人の本部があります。新興宗教の部類に属すると思いますが、土曜日曜、大祭の日などには、老若男女たくさんの人が列をなしてお参りに集まってきます。自分の心の支えとなる信仰を持つことも、幸せの一つだと思います。宗教でなくても、自分の心の支えとなり心の拠り所となる何かを、一つでも持てることは幸せだと思います。人の幸せを羨んだり妬んだり、自分を不幸せだと思い自分の運命を憎んだりしても、それは幸せからどんどん遠ざかることになるのではないでしょうか。自分にとって大切なことは、感謝と願い、祈りができる人になりたいと、自分の心を成長させる修養を積むことだと思います。

 私が考えた幸せとは「幸せは自分の手の中にあるということを知ること」このことを今現在の私の答にしたいと思います。

 

*いよいよ引っ越しが迫ってきたのでブログをしばらくお休みします。落ち着きましたらまた再開しますのでどうぞよろしく。

2014年2月6日木曜日

新しい命


 私の姪二人に、最近初めての子が誕生しました。二人共四十歳を過ぎてからの第一子誕生です。女性の社会進出が進み、晩婚化、少子化になっている日本の現状です。そんな中での妊娠、出産に挑んだ姪達に拍手喝采です。高齢出産ですが、ぎりぎりまで、できることなら自然分娩でと言う医師の指導の下、予定日まであと少し、順調に辿り着きました。胎児も順調に育っています。3キロになっています。ところが、予定日を目前に控えた日の夕方、姪は突然破水し、入院しました。陣痛が始まったものの、弱くてなかなか強くなりません。少しずつは強くなりましたが、破水から二日以上経つと胎児に影響を及ぼすとのことで、急きょ帝王切開することになりました。手術室へ入って一時間半ほどで、無事赤ちゃんは誕生しました。下半身麻酔なので、母子対面は、何の問題もありませんでした。新しい命の誕生に、胸が熱くなりました。

 新生児室を覗くと、四人の赤ちゃんがいました。男の子、女の子の波があるのでしょうか、みんな男の子でした。顔の表情は豊かで、かわいくて面白くて、つい見とれてしまいます。母親の胎内にいる時は、母と子は一心同体です。そして母体から外へ生まれ出た瞬間から、母と子は二つの人格になります。遺伝子やDNAは、親から子へ受け継がれますが、人格は二人の人間に分かれると思います。新生児は、どんな星の下に生まれたのでしょう。その星に違いはありますが、純白の赤ちゃん達です。父親、母親、祖父母など、養育する者には、大きな責任があります。どんな色にも染めることができるからです。特に幼い間は、愛情をふりそそいでほしいと思います。今生まれた赤ちゃんが、十年先には、小学四年生になります。口も達者になり憎まれ口もきくでしょう。それも成長の過程です。生まれたばかりの赤ちゃん達を見て、この子達に、明るい未来、幸多き将来が待っていることを、切に願い祈りました。

2014年2月5日水曜日

師走の旅(四国へ)-8


 高知市内をあちこち回り、最後に高知駅へ行きました。路面電車が何台か止まっています。駅前に大きな維新三傑の像が立っていました。坂本龍馬と中岡慎太郎、武市半平太です。写真を撮りました。
 


 観光して回っている間は、青空でとてもよいお天気でした。しかしこれから帰途に着くという頃、高速道路情報で、私達が予定していた高速道路が雪のため通行止めと言うのです。青空の下にいる時は、とても信じられませんでした。行ける所まで行こうということで高知道に入りました。30分ほど走ると、予報通り雪がちらついてきました。予定していた高速道路を変更し、一般国道へ出ました。雪降る中、国道32号線を走りました。高知県から徳島県に入ります。深い山の間を縫って、徳島県西部三好市、大歩危(おおぼけ)小歩危(こぼけ)を通ります。面白い地名です。秘境と呼ばれている祖谷(いや)は、ここから山の奥へ入っていきます。祖谷は、平家の落人が住み着いたと言われる古い集落です。平家伝説が語り継がれています。祖谷のかずら橋に代表される見事なつり橋が、いくつかあるそうです。

 いつのまにかすっかり雪景色にかわりました。雪が積もっています。山々は真っ白です。国道の中央部は車が通るのでましですが、側道には5センチほど積もっています。車にチェ-ンは積んでいません。スノ-タイヤでもありません。こんなお天気の中、山の中の国道を走る他府県の車はありません。道路には、すぐにうっすらと雪が積もります。雪と縁の無い地域に住んでいる私達は、こわごわです。ハンドルを握るポアロ(夫)も緊張しています。私も体が強張っています。辺りはずい分暗くなってきました。私達が帰る方向は、峠を越えねばなりません。この調子では危険です。ひょっとしてもう一泊しないといけないかもと話しながら、スピ-ドは落としてこわごわ前に進みました。気がつくと地元の人の車でしょうか、後に5~6台列をなしています。追い越してもらうには脇へそれねばならず、雪が積もっているのでそれもできません。ちょうど大歩危道の駅が見えてきて、何とか駐車できました。お客は、若者四人のグル-プと私達だけです。まあまあの大きさの道の駅で、土産物もいろいろあります。祖谷のかずら橋の大きなポスターが飾ってありました。秋の美しい紅葉の写真です。
 


その時、列車の音が聞こえてきたので、急いでデッキに出ると、吉野川の渓谷の中を、一両の列車が通っていきます。あわてて、雪化粧した渓谷を走る列車の写真を撮りました。祖谷や大歩危、小歩危へは、夏にゆっくり来たいと思いました。
 

 
一息ついて、また雪の中を自宅に向けて走りました。高知道は途中が通行止めになっていて、私達は徳島道に何とか入れました。高速道路に入って少しほっとしましたが、高知道と松山道、徳島道が一つになるところまで行かねばなりません。通行車両は少しです。緊張しながらやっと高松道に入り、これで家へ帰れると本当に安心しました。ここでやっと雪から解放されました。

 今回の師走の旅(四国へ)は、知るを楽しむ旅でした。自分の知らなかったその土地々の歴史・文化にふれ、人間が生き続けて今に至っている大変さ大切さに、考えさせられました。国道から見上げる山の頂上に近い所にも、人は家を建て、家族を作り、子孫を残し、住み続けている、住み続けてきたという事実には感動しました。これこそ旅の醍醐味です。地縁を大切にしながらも、自分の知らない世界を見て、知って、楽しむ。旅は素晴らしいものです。無事に旅を終えられたことに感謝します。

2014年2月4日火曜日

師走の旅(四国へ)-7


 高知県伊野町は、土佐和紙で知られています。街中を走っていると、製紙工場、製紙会社の名が多く見られました。紙の博物館もありましたが、今回はパスしました。伊野から高知市内に向かう途中、多くの路面電車と出会いました。路面電車大好きな私達家族は、たくさん写真を撮りました。その町に根づき、人々に愛され、人々の足になっている路面電車は魅力いっぱいです。


 高知市立龍馬生まれた町記念館を訪ねました。大河ドラマで龍馬が脚光を浴びて、高知へもたくさんの観光客が来ています。この記念館は、2004年にオ-プンしました。龍馬を育てた人と町、高知市上町の歴史と文化、龍馬と家族とエピソ-ド、龍馬その後を継いだ人々など、龍馬の生まれ育った町ならではの、工夫が各所に見られ面白かったです。映像もありました。建物は、建築作品としての評価も高く、数多くの賞を受けています。




 次に高知城を訪ねました。あいにく年末の休みに入っていて、天守や御殿には入れませんでした。城の近くまで散策しました。高知城は1603年の築城で、築城主は山内一豊です。江戸時代に建造された天守や追手門等が現存し、日本百名城の一つです。公園内には、内助の功で有名な一豊の妻、千代の像や板垣退助の像がありました。


 高知城の近くの市場をのぞきました。大きなテントの下では、新鮮な食材を使ったいろんな物が売られており、そこで食べられる屋台もあり、多くの客でにぎわっていました。私達は、まぐろの寿司盛り合わせを買いました。

 お弁当と飲み物を手にして、五台山まで登りました。山頂には展望台があり、高知の町がよく見えました。有名な植物学者牧野富太郎の県立牧野植物園や記念館があります。あいにくここも年末の休みに入っていて、中へは入れませんでした。ずいぶん前のことですが、私達が東京に住んでいた頃、牧野富太郎博士の住まいが一般公開されていて、家族で見学に行きました。博士が座った位置からすべての物に手が届くように工夫されていて、博士の植物への一途な想いを感じたことを思い出しました。





 その後、桂浜へ行き、太平洋と県立龍馬記念館や坂本龍馬像と記念写真を撮りました。年の瀬の押し迫ったこの日、桂浜には、観光客はあまりいませんでした。よいお天気で、キラキラ輝く美しい青と、どこまでも続く太平洋にうっとりしました。



 

2014年2月3日月曜日

師走の旅(四国へ)-6


 旅の二日目後半は、愛媛県宇和町卯之町から、高知県四万十市を目指して走りました。四万十川は、四国最長の大河です。全長196キロあります。主な支流は35あり、四国西南地域を大きく蛇行しながら、落差のない流れとなって、四万十市下田で太平洋に出ます。本流に大規模なダムが建設されていないことから「日本最後の清流」と呼ばれています。柿田川(静岡県)長良川(岐阜県)とともに日本三大清流と呼ばれています。四万十川には、本流に22本、支流も含めて47の沈下橋があります。


 愛媛県から高知県へ、峠を越えて四万十川に出ました。それから四万十川に沿って走りました。上流から下ってきて最初の岩間沈下橋で車を止め、歩いて沈下橋を渡り、写真を撮り、記念に石を三個拾いました。沈下橋を車で通るには、幅が狭く感じられましたが、地元の人達はスイスイと通っていきました。この日は風が強くて、沈下橋の真ん中で写真を撮る時、吹き飛ばされて川へ落ちるのではないかと思うほどでした。四万十川が大自然の中を悠々と流れる姿には、強く魅かれるものを感じました。
 
 


一番下流の佐田沈下橋は、かわいい感じで、五人ほどの若い女性達が、キャ-キャ-言いながら楽しそうに写真を撮っていました。
 
 


土佐中村の水車群のある「安並水車の里」を見学して、この日の宿、伊野に向かいました。