2014年1月26日日曜日

師走の旅(四国へ)-4


 一日目の夕方、雨の中、暗くなって立ち寄った大洲城は、鎌倉時代末期(1331年)に守護として国入りした伊予宇都宮豊房によって築城されたといわれ、その後、藤堂高虎等によって大規模に修築がなされ、伊予大洲藩の政治と経済の中心地として城下町は繁栄していきました。現在の大洲城の天守は、平成16年(2004年)に復元されたもので、四層四階の木造天守です。残念ながら私達は、大洲城を写真に収めただけでした。

 二日目は、小雨の中、朝食後近くの宇和島城へ登りました。宇和島城天守閣は、標高74メ-トルの丘陵地の山頂にありました。全国現存の天守閣12城の一つです。その起源は中世期にあった板島丸串城の跡に1601年藤堂高虎の築城とされています。今の天守の形に立て替えられたのは、伊達氏になって二代宗利が城の大改修をした1661年からです。その後、伊達十万石の中心としてその威厳を保ってきました。当時の二の丸、三の丸は空襲で焼け落ち、城を取り囲んでいた堀や海は埋め立てられ、今は面影もありません。歴史を語るうっそうと茂る木々や、苔むした石畳の中を歩いて天守閣へ登りました。





 少し登っただけと思いましたが、天守閣からの眺めは素晴らしいものでした。宇和海がきれいに見えていました。途中、朝のウォ-キングをする市民の方、5人ほどに出会いました。1時間ほどの朝の散策を楽しみました。
 

 

0 件のコメント:

コメントを投稿