2014年1月25日土曜日

師走の旅(四国へ)-3


 今治から松山を通り抜けて、愛媛県喜多郡内子町へ向けて走りました。松山へは以前に二回来ています。司馬遼太郎著「坂の上の雲」がドラマ化され、松山が人気の観光スポットとして、多くの観光客が押し寄せました。町も整備され、松山城、秋山兄弟、正岡子規、夏目漱石、松山中学など見所いっぱいです。道後温泉は、古くから人気ある有名な温泉です。この日は松山の幹線道路で渋滞に巻き込まれ市内を通り過ぎるのにずい分手間取りました。松山は四国最大の都市ということを、改めて認識しました。内子まで国道で行く予定だったのですが、少しだけ高速道路を利用しました。

 内子へ四時過ぎに到着しました。内子には、有名な内子座があります。内子座は、2016年に創建100周年を迎えます。大正5年の創建です。閉館時間も近づいており、見学者は私達の他に若いカップルが一組いただけです。始めにスタッフの方が、ざっと説明して下さり、そのあとは自由に見学しました。開場時間は4時半までとのことで、私達は急いで見学しました。内子座には回り舞台もあります。花道には、すっぽん(忍術使いや妖怪などがせり上がる切穴)があり、興味津々になりました。義太夫席、桝席、大向(おおむこう)があり、奈落(舞台や花道の床下の総称)も面白いものでした。昔は人力で回り舞台を動かす仕掛けがあったそうです。舞台下手に観光客のためのはっぴが何着か用意されていたので、私達は喜んではっぴを着て記念撮影をしました。内子座が約百年前に、多くの人の力によって建てられ、町の栄華と共に歩み、それをまた復元した人々の、昔も今も変わらぬ人間の叡智に感動しました。内子町には、他にもまだまだ見所がたくさんあるので、一泊二日は滞在したいほどでした。国指定重要文化財になっている、往時の栄華を偲ばせてくれる豪商の館がいくつもありました。木蝋資料館や博物館、大きな寺もありました。
 
 内子座・・・この木造劇場は、木蝋や生糸などの生産で栄えていた時代、芸術・芸能を愛してやまない人々の熱意によって建てられた。農閑期には、歌舞伎や文楽、時には映画や落語などが演じられ、当時の人々の心の糧、文化的な拠り所として愛された。内子座は大正天皇即位を祝い創建され、木造二階建て、瓦葺き入母屋造り。ホ-ルとして活用後、老朽化のために取り壊しになるところを、町民の熱意により復元。昭和60年10月劇場として再出発。現在では年間約5万人の人々が訪れ、60日近くを劇場として活用されている。定員は650人。    (パンフレットより)
 
 
 
 
 
 
 

  雨が降り出し、気も焦る中、私達はこの日の宿を宇和島にとっていたので、急いで車を走らせました。それでも途中大洲城に寄り、雨の中、暗くなりライトアップされた夜の大洲城を写真に撮りました。ホテルへは、予定到着時間7時寸前に着きました。

 
 


 

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