朝宇和島城を散策してから、西予市宇和町へ戻りました。旅の一日目が見所いっぱいで遅くなり、宇和町へ寄れなかったのです。高速道路の無料区間を走り、効率よく戻れました。
宇和町卯之町は、宇和島藩唯一の宿場町としてにぎわい、シ-ボルトの娘イネや二宮敬作(シ-ボルトの弟子)ら、蘭学者たちを育んだ江戸時代の町並みが残っています。
そして明治15年(1882)に建築された、四国最古の木造小学校舎が残っています。明るい未来を開こうという、希望に満ちた名前が付けられた開明学校です。厚さ30センチの白壁に、フランス風ア-チ型の硝子窓、外観は擬洋風で、モダンでお洒落なつくりです。中を見学しました。明治にタイムスリップしたような感覚になりました。教室は、4本の大きな通しの丸柱で区切られ、6教室あったそうです。昔は教科書が高価だったため、買えない生徒がたくさんいたので、代わりに「掛図」を使って授業をしていました。明治初期の大変貴重な「教授用掛図」(文部省刊行)が多数保管されており、その数・種類は全国一だと言われているそうです。
長野県松本市にある有名な旧開智学校は、開校明治6年(1873)ですが、開明学校は、一年早く明治5年(1872)に開校されています。その二つの学校は、昭和62年(1987)に姉妹館提携されたそうです。明治から昭和にかけての教育資料約6000点のうち、600点が展示されており、建築史上・教育史上価値の高いものとして、平成9年に国の重要文化財に指定されました。
卯之町は、天保4年(1833)頃から、二宮敬作、左氏珠山(小説「坊ちゃん」に出てくる漢文の先生のモデル)などの蘭学者・儒学者をはじめ、学問が盛んに行われ、この町の若者の啓発に努めていました。「蘭学といえば宇和島藩」といわれた時代があったほど、学問に熱心な先人たちが大勢集まった町だったのです。宇和町卯之町は、明治4年まで宇和島藩でした。開明学校は、子どもたちに素晴らしい学問を伝えようとする、教育に対する情熱の結晶のような校舎です。開明学校の横には、明治2年築の住民が自発的に建てた私塾申義堂がありました。
そこから「中心街」という名の商店街を北へ少し行ったところに宇和町小学校の旧校舎が移築された「米博物館」がありました。大正4年築の講堂、大正10年築の校舎、昭和3年築の109メ-トルの長い廊下のある校舎など、中へは入りませんでしたが、それぞれの建物を窓越しに中を見て、懐かしい気持ちになりました。109メ-トルもある日本一長い廊下では、平成16年から雑巾がけレ-スが行われているとのことです。この日は雪がチラチラする中を、古い町中を歩き、歴史ある学校や校舎を見て、豊かな気持ちになりました。卯之町は、小さいけれど文化の香る町でした。シ-ボルトといえば、長崎、オランダ、蘭学、医者といったことしか知りませんでしたが、長崎から離れたこの卯之町に、深い関わりがあるという歴史に驚き、今に脈々と伝わっていることには、感慨深いものがありました。