後期高齢者の仲間入りをした私は、今「人間力」に大きな関心を持っています。若い時から摩訶不思議な人間の魅力にひきつけられ、哲学に興味を持ち、人間の心の内を研究したいと考え続けてきました。表には出ない心の内ほど、奥深いものはありません。自分の人間力を高めてきたつもりです。各人がそれなりに考え、歳とともに人間力の向上に努めてきたとばかり思い込んでいました。わずかの成長が大きな成長に繋がっていきます。最近自分の家族について、ショックを受けました。自分と同じように、人間力の向上に努めていると思っていたのは、私だけでした。他者への思いやりの欠如、失言暴言、自分勝手、我がまま、天狗となった思考回路、人間力の低さを見せつけられ失意のどん底です。いつの日か立ち直れる日が来るのか、今は暗闇の中です。
2023年8月19日土曜日
2023年7月20日木曜日
祇園祭2023神幸祭
本当の祇園祭(八坂神社の神官、奉賛列を先頭に神輿が市中を練って四条の御旅所に向かいます)7月17日18:30~
まず夕刻八坂神社を出発し、石段下で3基の神輿(中御座、東御座、西御座)が威勢を挙げて市中に向かいます。
我々は二条河原町で待ち構えます。20時~21時くらいに中御座と西御座が回ってくる予定ですが4年ぶりとあって1時間ものくれてやってきました。
4年ぶりの祇園祭7月14日
3年間は本格的な山鉾巡行がなかったのでいつもの河原町御池の辻回しを見に行きました。
外国人の訪日も回復し、賑わっています。37℃の予報が出て暑い日となっています。
11時ごろに先頭の長刀鉾が見えてきました。
2023年7月6日木曜日
私の好きなことば「設え」(しつらえ)
今では死語となってしまったようなことば「設え」ですが、私は慣れ親しんできた大好きなことばです。古くから日本人の暮らしを支えてきた「設え」です。私は幼い頃から「設え」を身近に見て育ちました。父は季節季節の移り変わりにふさわしい「設え」を、当たり前のように行ってきました。襖や障子、衝立などの建具の入れ替えに始まり、絨毯から夏物のトウの敷物へ、そして団扇や風鈴などの小物を用意し、軒先には簾をかけました。そういう「設え」をする父を見て育った私は、夏への季節の移り変わりを感じました。団塊世代の私たちは、結婚すればニューファミリーと呼ばれました。実家を離れ、「設え」から遠く離れた暮らしになりました。
幼い二人の子どもをつれての里帰りは、子どもたちにとって田舎の暮らしを知る貴重な体験となりました。夏休みには、朝から水撒きをする父の手伝いもしました。夕方になればまた打ち水をして、庭に床几を出して夕涼みの準備です。蚊取り線香をつけ、線香花火を楽しみました。寝る時は蚊帳を張ってもらい、ワーワー、キャーキャー言いながら、珍しい体験を重ねました。遠い日の思い出です。
今の生活の中では、「設え」と言えるものはありません。建具を入れ替えることはありません。一年中何の変化もありません。エアコンのスイッチを暖房から冷房に代えて、扇風機を出すくらいです。父がしていたような「設え」は、暮らしの中から消えました。昔の人は大変だったけれど、季節の移り変わりを感じながら、「設え」を楽しみながら、暮らしを大切にしていたのだと、思いを馳せています。
(まるこ記)
2023年6月11日日曜日
テレビの力
ブログを書き始めて早12年が過ぎました。毎日のようにブログを書いていた日々が遠い記憶となっています。コロナ禍に巻き込まれて巣籠りの毎日となり、生活が一変しました。自分自身の人間の姿も変わったように思います。そんな中での、テレビの存在はとても大きなものでした。国内国外の時々刻々と変化する世界情勢を教えてもらいました。コロナによる命の怯えが世界中の人々を襲いました。それでも人間はあきることなく戦争を続けています。いいことも悪いことも、たくさんの経験を積み重ねてきたはずの人間なのに、智慧は身につかなかったのでしょうか。欲望だけを優先させる人間になってしまったのでしょうか。いつになったら世界が平和で穏やかな楽園になるのでしょうか。広島で開催されたG7サミットでは、すべての人が理想とする社会の実現を目標に掲げています。ウクライナでは悲惨な状況が続いています。誰もがわかっていても、止めることはできないのでしょうか。いつの日か地球家族が誕生することを切に切に願っています。
(まるこ記)
2023年5月5日金曜日
あれから何年(コロナ)
2020年から始まったコロナは、私たちにとってたくさんの影響を及ぼしました。命が奪われるという恐怖が大前提となり、それまでの生活が一変しました。自由気ままな移動もままならず、巣籠り状態が続きました。人間関係も希薄となり、会うこともできず電話やメールがコミュニケーションの唯一の手段となりました。京都と三重の二都暮らしをしていた私は、三重で疎開生活を送りました。以前のような活発さも減り、年齢とともにますますシニアというるつぼにはまりこんでいます。外出するのは、必要最低限の買い物と病院通いです。コロナの猛威の前の暮らしを、忘れかけています。
コロナの猛威も少しずつ下火になってきたということで、マスクもつけるつけないは本人の意思でということになり、感染から身を守るのは自分自身だと報道されています。しかしここへきてコロナの力が再燃してきたようです。第九波が襲ってきています。大型連休で人々の大きな動きがあり、連休明けには感染者が増大するとの予想です。
社会の仕組みも、コロナの前とは変化しています。リモートワークが増えて、在宅で仕事をする人が当たり前になりました。働き方も多様化しました。通勤に時間や労力がとられていたのが削減され、人間にとっては喜ばしいことかもしれません。こどもたちの学校生活も変化しました。入学から卒業までの大切な年数を、コロナの影響でマスクをはずせない日々でした。これから少しずつ緩和されていくと思いますが、コロナの前のような生活に戻れるのはまだまだ先のようです。
2023年4月21日金曜日
たんぽぽ (蒲公英)
一週間ほど前から我が家の庭はたんぽぽに占領されています。雨が降ると花を閉じ晴れるとまた開いてきます。少々踏まれてもこの季節になると花を咲かせます。
芹洋子さんが歌った「たんぽぽ」の歌が口から出てきます。
たんぽぽ
雪の下の 故郷の夜
冷たい風と 土の中で
青い空を 夢に見ながら
野原に咲いた 花だから
どんな花よりたんぽぽの
花をあなたに 贈りましょう
いろんな蝶々や蜂が偵察に来ます。モンシロチョウ、モンキチョウ、アオスジアゲハ、アゲハチョウ写真のクロアゲハそしてヒョウモンアゲハなど。
2023年3月24日金曜日
旅立ちの春
今日は修了式です。2022年度は今日で終わり、いよいよ新しい2023年度が始まります。卒業する人たちは次のステップに向けての旅立ちです。修了式を迎えた人たちは次の課程に進級します。子どもにとっても親にとっても、人生の大きな節目を迎えます。新しい気持ちで新しい世界へ羽ばたいてくれることを、心から願っています。
WBC世界一となった侍ジャパンのみなさんには、大きな感動と喜びをもらい、本当に感謝感謝です。全試合全勝という偉業を達成してくれました。
この一ケ月は、WBCに明け暮れました。選手たちの名前もお顔も覚えました。ハラハラドキドキの日々でした。準決勝、決勝では、感動して目がうるうるしてしまいました。アメリカメジャーリーグで活躍している四人の選手と別れ、昨日侍ジャパンの皆さんは無事帰国されました。休む間もなくプロ野球開幕です。WBC世界一となった侍ジャパンは、子どもたちに夢を与えてくれました。野球少年が増えることと思います。普段は野球から遠い所で生きているすべての人に、夢、希望、勇気、喜び、そして大きな感動をもたらしてくれました。ありがとうございました。三年後を楽しみに、励みにして、日々をすごしていこうと思います。
(まるこ記)
2023年3月16日木曜日
久しぶりの京都御苑
晴めいてきたので京都御苑の 梅を見に行きました。外国の方たちもちらほら来られています。東の奥には大文字山が望めます。
2023年2月21日火曜日
カブの漬物
田舎(人口13万人の松阪市ですが周辺部は田園地帯です)に住んでいると知り合いから自家製野菜をいただくことが多いです。大根やイモ類、夏ミカンなどです。
今回はカブをいただきました。薄く切って千枚漬け風にしました。塩を入れて半日、水を絞ってから砂糖と酢、昆布と乾燥柚子を入れて半日。美味しい漬物ができました。大根でも同じようにできます。乾燥ゆずは便利なもので、4切れくらいで十分いい香りがつきます。
今回は直径10cmくらい |
昆布と乾燥ゆず |
ビニール袋に入れ、冷蔵庫に入れておきます |
一週間くらいはもちます |
2023年2月18日土曜日
三重県立総合博物館MieMuへ行ってきました
2023年2月14日火曜日
一人の手・手をつなごう・被災地へ
2月6日にトルコ・シリア国境付近で発生した巨大地震による死者は、3万3000人を超えました。がれきの下からまだ生存者が救出されています。東日本大震災を経験した日本にとって、恩返しをする時がきました。あの時の悲惨な状況の中で、世界中からあたたかい支援の手が差し伸べられたことは、ただただ感謝でした。日本からの救援チームが現地に入りました。テレビの報道を見て、悲惨な映像に胸を痛めています。一個人としては、遠い被災地を想い見守るだけしかできませんが、義捐金を送ります。
私の大切にしている歌「一人の小さな手」を歌います。
一人の小さな手
何もできないけど
それでも
みんなの手と手をあわせれば
何かできる 何かできる
2023年2月13日月曜日
半世紀を超えて(ラ・カンパネラ)
リストのラ・カンパネラを弾いた時から、早半世紀が経ってしまいました。ラ・カンパネラを初めて聴いたのは、アメリカのピアニスト、アンドレ・ワッツが1969年に初来日した時です。テレビで彼の演奏を見て、ラ・カンパネラのとりこになりました。すぐに先生にお願いをして、レッスンを始めてもらいました。自分の力を考える余裕もなく、大好きになってしまったのです。
11ページに及ぶ楽譜を正しく読み取るということは大変なことで、それを正しく弾けるようにするのは、私には至難の技でした。ただただラ・カンパネラを弾けるようになりたいという思いひとすじでした。何カ月もかかりました。曲として仕上げて、最後は暗譜もします。そして先生から仕上げの印をもらい終了となります。自分のレパートリーの一曲となった時の感動はすごいものでした。こんな大曲、難曲が弾けるとは、凡人の努力の賜物です。こつこつ、こつこつ、千里の道も一歩からです。その通りです。宝物の一つとなりました。
その後の人生は、目まぐるしいものとなりました。結婚して二人の子どもの親となり、仕事も続けて、家庭経営だけで必死の状況でした。ピアノに没頭することは、難しくなってゆきました。子どもたちが学校へ行くようになり、少しの時間を見つけては、ピアノを弾きました。好きなショパンのエチュードや、ワルツ、ノクターン、幻想即興曲、ベートーヴェンのソナタ、悲愴や月光などを弾きました。数曲弾いただけで時間が経ってしまいます。ラ・カンパネラまでたどり着けません。こういう日々の中でラ・カンパネラの存在が遠のいてしまいました。
そんな私が再びラ・カンパネラに惹きつけられました。魂のピアニストと称されるフジコ・ヘミングさんに出会いました。ヨーロッパで活躍されてこられた彼女が、1995年に帰国されました。テレビで拝見したのが、ラ・カンパネラでした。眠っていたラ・カンパネラへの想いがよみがえりました。自分の宝物となっていたラ・カンパネラを弾こうと思いましたが、全く弾けません。長い空白の年月があります。読譜も難しくお手上げ状態です。若かった私は、遥か彼方へ行ってしまっています。無力感に襲われました。
そして先日若きピアニスト亀井聖矢さんに出会いました。現在二十歳のピアニスト、そして桐朋学園大学の学生です。初の飛び入学特待生です。その彼が十歳の時に、ラ・カンパネラを弾いて、コンクールに優勝したと知りました。刺激を受けました。もう一度、ラ・カンパネラを弾けるようになりたいという意欲がわき起こってきました。それから少しずつ弾いています。昔のようには弾けません。それでも少しずつ昔に近づけるようにと努力したいと思っています。
(まるこ記)
2023年2月10日金曜日
珈琲自家焙煎に挑戦 (ポアロ記)
自家焙煎に初めての挑戦です。小さな炒り器と生豆を買いました。
初めての自家焙煎、少し煎りすぎたようで、家族の評判はもう一つでした。
もっと試行錯誤の修行が必要なようです。