今では死語となってしまったようなことば「設え」ですが、私は慣れ親しんできた大好きなことばです。古くから日本人の暮らしを支えてきた「設え」です。私は幼い頃から「設え」を身近に見て育ちました。父は季節季節の移り変わりにふさわしい「設え」を、当たり前のように行ってきました。襖や障子、衝立などの建具の入れ替えに始まり、絨毯から夏物のトウの敷物へ、そして団扇や風鈴などの小物を用意し、軒先には簾をかけました。そういう「設え」をする父を見て育った私は、夏への季節の移り変わりを感じました。団塊世代の私たちは、結婚すればニューファミリーと呼ばれました。実家を離れ、「設え」から遠く離れた暮らしになりました。
幼い二人の子どもをつれての里帰りは、子どもたちにとって田舎の暮らしを知る貴重な体験となりました。夏休みには、朝から水撒きをする父の手伝いもしました。夕方になればまた打ち水をして、庭に床几を出して夕涼みの準備です。蚊取り線香をつけ、線香花火を楽しみました。寝る時は蚊帳を張ってもらい、ワーワー、キャーキャー言いながら、珍しい体験を重ねました。遠い日の思い出です。
今の生活の中では、「設え」と言えるものはありません。建具を入れ替えることはありません。一年中何の変化もありません。エアコンのスイッチを暖房から冷房に代えて、扇風機を出すくらいです。父がしていたような「設え」は、暮らしの中から消えました。昔の人は大変だったけれど、季節の移り変わりを感じながら、「設え」を楽しみながら、暮らしを大切にしていたのだと、思いを馳せています。
(まるこ記)
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