お盆休みが終わってから一泊二日で高野山へ出かけました。先日大阪へのプチ旅で、真田丸跡地や真田幸村の足跡を訪ね、娘のパートナーであるフランス人を案内したところですが、その延長で高野山へと向かうこととなりました。
いくつかある高野街道のうち、京都から高野山へ向かう東高野街道が、大阪府の南、藤井寺市を通っています。この周辺は古墳がたくさん集まっている地域です。
その東高野街道に面して、誉田(こんだ)八幡宮、道明寺、道明寺天満宮があるのでお参りしました。慶長20年(1615)4月、大坂夏の陣で、徳川家康が再び大坂城攻略をした際、道明寺の戦いで、大坂方の勇将ら後藤又兵衛、薄田隼人が討死にしました。豊臣方が敗北する最後の戦いです。かつては高野詣でたくさんの人が行き来して賑わった高野街道の名残りがある、古い街並みが続いています。
誉田八幡宮は応神天皇宗廟といわれる八幡宮で、大坂夏の陣の際に薄田隼人が陣を布いた近くに鎮座しています。豊臣秀頼による社殿の再建中に、大坂の陣が勃発してしまったため、拝殿の天井板はいまだに未完成のままとなっているそうです。
境内に大坂夏の陣の古戦場の石碑があります |
右近の橘、左近の桜 |
誉田八幡宮の北側に応神天皇陵がつながっています |
この奥の杜が応神天皇陵です |
道明寺の戦いでは、伊達政宗も参戦し勝っています。真田幸村の足跡を辿る私達のプチ旅は、いよいよ終盤へと進みます。慶長5年(1600)関ケ原の戦いは徳川方の圧勝で終わり、真田昌幸、幸村父子は、徳川家康の命で高野山へ蟄居となります。私達は、道明寺を後にし、真田父子の最後の住まいとなった九度山へと向かいました。
道明寺天満宮 |
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