一泊二日の高野山へのプチ旅は、真田幸村が14年間暮らした九度山を一日目の終わりとし、予約しておいた高野山の宿坊へと向かいました。高野山へは今までに二回来ていますが、宿坊へ泊まるのは初めてです。高野山には宿坊寺院が52あります。ネットで見る情報ではホテルと同じですが、違うことといえば食事や入浴の時間が早いのと、早朝に法話があることです。私達は、中央部にある普門院に泊まりました。庭園が自慢の宿坊です。
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高野山のマスコット「こうやくん」 |
宿坊に着いて部屋に落ち着いてすぐ、娘カップルは、6時の夕食まで近くを散策しに出かけました。猛暑の中のプチ旅一日目の最後は、上品な精進料理をいただきました。
プチ旅二日目は、7時の朝食から始まりました。6時の法話には参加できませんでした。朝食のあと、宿坊から歩いていける金剛峯寺へお参りしました。もと青厳寺といい全国に四千余の末寺をもつ高野山真言宗の総本山です。文禄2年(1593)に豊臣秀吉が建立したものです。豊臣秀吉の甥の豊臣秀次が切腹したのはこのお寺です。そのシーンは大河ドラマ「真田丸」で最近観たばかりなので、秀次が思い出されます。拝観順路に沿っての見学ですが、広いので1時間ほどかかりました。
金剛峯寺を見学したあと、根本道場大伽藍へ向かいました。伽藍とは、本来僧侶が集い修行をする閑静清浄な所という意味だそうです。たくさんの建物があります。その中心にあたる建物は、根本大塔です。35年ほど前に家族で来た時に、この前で記念写真を撮ったのを思い出しました。金堂は高野山一山の総本堂で、年中行事の大半がここで行なわれるそうです。東塔から西塔まで、たくさんある建物の中を進みます。まさに壇上伽藍です。弘仁7年(816)に弘法大師によって開創された高野山は、1200年の歴史があります。
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不思議な色のコガネムシがたくさんいました |
大伽藍の見学にもっともっと時間をかけられたらと思いましたが、時間制約があるので、軽い昼食をとり、宿坊に戻り、車で移動することにしました。
広い高野山は見どころいっぱいです。広すぎて全部を歩いてというのは無理だと思います。たくさんの歴史ある寺院の中を通り、徳川家霊台へお参りしました。三代将軍家光公により建てられた家康霊屋と秀忠霊屋があります。この建物は東照宮形式として、高野山に残る唯一のものだそうです。
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徳川家の家紋である葵がありました |
次に今回のプチ旅の主人公、真田幸村が父昌幸とともに蟄居した蓮華定院へ寄りました。真田氏の高野山での菩提寺となっているこのお寺にお参りしたかったのですが、残念なことに一般客は入れませんでした。
かつて女人禁制であった高野山は、女性はここまでという女人堂がありました。私達は女人堂で折り返し、大門まで行って戻り、中の橋駐車場へ車をとめて、歩いて弘法大師御廟のある奥の院を目指しました。
前に来た時は、一の橋から歩いたのですが、今回は二回目ということで中の橋からとなりました。歴史に残るそうそうたる人物の供養塔や霊屋が並んでいます。奥の院の休憩所で、僧侶の法話を聞くことができました。開祖弘法大師への尊敬と親しみを込めて、お大師さまと呼ぶのだそうです。蓮の花に8枚の花弁があるように、高野山は八つの山に囲まれた高地にある盆地です。真言宗の霊場にふさわしい場所を探して旅を続けていた弘法大師は、白い犬に導かれて辿り着いたこの地こそ、自分が探し求めていた場所だと確信したそうです。奥の院で身代わりお守りをいただいて、真田幸村の足跡を辿る一泊二日の「プチ旅高野山へ」を終え、帰路につきました。
追記 高野山でもたくさんの外国人と出会いました。関西国際空港から高野山へ直行のリムジンバスが出ているそうです。
何年か前までは、林間学校で高野山へ来る小学生が多かったのですが、どんどん減り続けているとのことです。