2024年11月15日金曜日

最後の運転免許証

  今日運転免許証の更新に行ってきました。75歳以上の高齢者は、更新時に認知機能検査、運転技能検査、高齢者講習の受検・受講が課せられています。更新をするかどうか、ずい分悩みました。誕生日の一ヶ月前から、一ヶ月後までが、更新期間です。始めの頃は、更新しないという気持ちでしたが、日が進むにつれて、もうこれで車の運転ができなくなると思うと、とても寂しい気持ちに襲われました。認知機能検査も気になります。合格できないというのも、恐怖です。しかし、今までチャレンジ精神で頑張ってきた私は、「逃避したくない、逃避してはいけない」という結論を出しました。更新期間の締め切り二週間前です。やっと申し込みをしました。そのあと、認知機能検査について、少しは勉強しなければと思いながらも、何もせずに日が過ぎていきました。あわてて本も買いました。三日前です。満点を取ろうと思うと、しっかり覚えなければなりません。4パターンのそれぞれ16枚、計64枚を覚えないと安心できません。記憶することの苦手な私は、すぐにあきらめました。4パターンのそれぞれ4枚、最低16枚にしぼりました。最低でも、確実に点を取ろうと思ったのです。認知機能検査は、絵を見せられ、覚えて、他の問題に取り組み、少し時間をおいて、答えを書くのです。暗記することが得意な人は、何の心配もありません。しかし、答えを書くのは、結構難しいのです。

 今日一日で、すべてのことを終えて、新しい免許証をもらうのです。緊張して認知機能検査にのぞみました。自分の暗記力の低さを再確認しながら、まあこんな程度でも仕方ないと、検査を終えました。結果は、合格ということで、次の運転技能検査・高齢者講習を受検受講しました。最後に写真撮影があり、新しい免許証をもらいました。長い一日が終わりました。私にとっての最後の免許証です。三年間は、免許証を所持することができます。安全運転を心がけねばなりません。

2024年7月2日火曜日

まだまだ知らない地元のこと

 故郷を離れて早半世紀、現在は故郷と都会の二都暮らしをしています。ふるさとのことは何でも知っていると、思い込んでいましたが、まだまだ知らないことはたくさんあることに気づかされています。

 私のふるさとは、三重県中部の海に面した地域です。先日地元の情報に詳しい友人から良いお話を聞きました。三重漁連海苔流通センターが、ランチだけの食堂をしているという情報です。初めてのことなので、お弁当を買いに出かけました。幹線道路から少し奥まったビルにあります。幹線道路は何度も走っていますが、そのお店のことはまったく知りませんでした。早速お弁当を買って、いろいろ並んでいる商品もいくつか買いました。漁連の海苔流通センターのお店だけあって、いろんな海産物が並んでいます。健康食品に飛びつきました。


海苔ふりかけ、豆腐と混ぜるだけで白和えができあがるひじき、あさりの佃煮、その他いろいろです。できたてのお弁当はおいしくて、海の幸のお土産は美味でした。これからもひいきにして、月に一度ぐらいは、食堂へ出かけようと思います。



 

 

 

2024年7月1日月曜日

久しぶりの伊勢

  先日家族で、久しぶりに伊勢へ出かけました。さて何年ぶりのことでしょうか。記憶に残っている伊勢訪問は、確か30年前のことです。自宅からほぼ一時間で、伊勢に着きました。伊勢神宮のそばの大駐車場に車を停めて、五十鈴川に沿って歩きました。小雨降る中、旅情溢れる景観(神宮の森、神宮の山)を眺めながら、昔を懐かしく思い出しました。

 昼食時間は過ぎていたので、急いで予定していた料理屋に入りました。とうふとあなごのお店です。地元では有名なお店ですが、私達は知りませんでした。古い佇まいと巨木が、江戸時代の伊勢街道を、感じさせてくれました。五十鈴川の見える席に座りました。寄せ豆腐とあなごの天ぷらと炊き込みご飯、そして豆腐田楽を頂きました。ポアロは、あなご天重膳を注文しました。立派なあなごは、重箱からはみ出ている特大サイズです。大好物の豆腐田楽に大満足して、たくさんのお料理にお腹いっぱいになりました。このお店を紹介してくれた友人に感謝です。




 食事の後、伊勢神宮(内宮)を目指して、五十鈴川沿いに歩きました。宇治橋を渡り、玉砂利の上を歩きました。神宮の山並みに圧倒され、奥深い神宮の森に感動しました。

 帰りはおはらい町を通りました。伊勢街道の終着地点です。おはらい町は、昔から伊勢神宮へ参拝した人々の楽しみの場所でした。たくさんのお店が並び、参拝客を迎えてくれます。伊勢といえば赤福餅が有名です。伊勢には、数多くの名物餅があり、「餅街道」とも呼ばれているそうです。


 懐かしい伊勢を久しぶりに訪ね、三重県人として、誇りに思う伊勢神宮を再確認しました。時々は、伊勢を訪ねようと思います。

 

 

2024年6月21日金曜日

I love ろば

 

 最近読んだ本で、ろばの大ファンになりました。西出真一郎著「ろばのいる村」です。フランス各地を旅して、ろばを探して訪ね歩き、ろばと人々との暮らしが書かれています。

 今までろばに興味関心好奇心を持っていなかった私ですが、ろばが大好きになりました。ろばの本当の賢さは、あまり知られていなかったようですが、実は賢くて、従順で、優しくて、相手が子供であろうとも、大人であろうとも、見下すことは絶対しないそうです。かつては、運搬などの労働力として、ろばが飼われていましたが、今はほとんどがペットとして飼われているそうです。ろばの大ファンになった私は、ろばを飼いたいという夢を持ってしまいました。しかしそれは実現不可能です。

 ろばに会いたいと思っていたら、素晴らしい情報が飛び込んできました。京都市動物園に、ろばがいるとの情報です。嬉しくて舞い上がりました。早速出かけました。京都市動物園は、自宅から歩いて30分ほどのところにあります。

 ろばのいるところへ、急ぎました。一頭のかわいいろばがいました。狭い自分の庭を、ぐるぐる歩き回っています。名前はハルです。春生まれの男の子です。お歳は16歳です。4歳の時に京都市動物園に来たそうです。「ハルくん!」と呼んでみました。こちらを見てくれます。優しい目です。


   食事の時間となり、急に賑やかになりました。ハルくんの隣の庭には、ヤギが何頭もいます。飼育員さんが、ヤギの方から先にエサをやりました。ハルくんは、早く欲しいと鳴きます。かわいい声です。やっと自分のエサがきました。野菜を小さく切ったものです。しばらく食べると、飼育員さんは、バレーボールほどの大きさのボールにエサを入れて、遠くへ投げました。ハルくんは、ボールで遊びます。ボールには、小さな口があり、転がると、エサが少し出る仕掛けになっています。ボールを追いかけて、運動しながらエサを出すという工夫がされています。ハルくんは、ひとしきりエサを食べて落ち着きました。

 ハルくんは、園内散歩をすることがあるそうです。タイミングよく、その散歩の時に遭遇できたらと、思っています。ハルくんに会いたくなったら、いつでも行ける近さなので、本当にラッキーなことです。

 

2024年6月16日日曜日

久しぶりのお出かけ(伊勢湾フェリー(2))

  三重県鳥羽市から伊勢湾フェリーに乗り、60分で愛知県伊良湖に到着しました。フェリーを利用した車も人もわずかでした。驚きました。ターミナルにはたくさんの鉢植えのハイビスカスが並べられ、私達を迎えてくれます。南国へ来た印象です。

 伊良湖へ到着したのは、お昼前だったので、まず始めに昼食をということで、魚市場にある「いちば食堂」へ行きました。かわいい食堂で、ちょうどお昼ということで、満席でした。私たちはお刺身定食をいただきました。とれたばかりの魚です。ぷりぷり感があり新鮮そのものでした。感動しました。

 隣にある市場では、ちょうど「せり」が始まりました。私たちは、折角なので、せりを見学することにしました。魚の名前は、ほとんど知りませんが、たくさんの種類の魚がせりにかけられて、大きな元気な声がとびかっていました。

昼頃港へ入ってくる漁船から生かしたままの魚をセリにかけています

 昼食のあとターミナルに戻り、少し休憩をしました。ソフトクリーム、アイスコーヒー、アイスティーでほっとしました。この日は猛暑日となり、あちこちで30度を超えています。少し歩いただけで、真夏日の感触です。

 休憩をしたあと、今日のメインとなっている、伊良湖岬灯台を目指しました。渥美半島の先端にたち、航海の安全を守り続けています。灯台からは、太平洋や伊勢湾、三河湾が一望でき、「日本の灯台50選」に選ばれています。昭和4年(1929)に建設された、波打ち際に建つ灯台です。波打ち際に建つ灯台は、全国的にも珍しいそうです。ターミナルから海岸線に沿って進みます。遊歩道としてきれいに整備され、両側には切り出された大きな石が、遊歩道を守っています。太平洋の美しい海を眺めながら、沖を行きかう船を見て、炎天下の中を歩きました。

石貼りのきれいな遊歩道


灯台を見に来る観光客は少なく、すれ違った人はちらほらでした。灯台が好きで、灯台のファンの私達家族は、小さな白亜の灯台に魅せられ、写真をたくさん撮りました。灯台の山側の上には、海上保安庁の伊勢湾海上交通センターがあり、船に対していろんな情報を出しているそうです。

 遊歩道を40分ほど歩いて、大駐車場や食堂、土産物店が並ぶ、終点エリアに到着しました。木陰も無い遊歩道です。炎天下を歩いて、グロッキーです。早速茶店でかき氷を食べました。太平洋を見ながら食べた、かき氷のおいしかったこと。思い出の1ページです。

休憩したあと、太平洋に面して、美しい砂浜が広がる「恋路ヶ浜」を散策しました。白砂の浜です。非常に細かい白砂を踏みしめながら歩きます。椰子の並木があって、椰子の実がころがっています。恋路ヶ浜のシンボルにもなっている「幸せの鐘」を鳴らしました。恋人の聖地にもなっている「幸せの鐘」です。そこから15分ほどで、もとのターミナルへ戻ります。

ハマユウ

 ターミナルへ戻り少し休憩してから、お土産店をのぞきました。昼食のデザートに出たメロンが、甘くてとてもおいしかったので、メロンを買いました。夏ミカンジュースや、たこせんべい、お茶なども買いました。30分ほど経ってから、フェリーに乗り込みました。帰りのフェリーは、4時半発です。乗る人は私達3人です。オートバイが2台、車が6台、本当に少ない利用客です。往路と同じく、美しい太平洋、神島、菅島、答志島を見つめ、胸いっぱいに広がる感動で大満足です。まだまだ見どころいっぱいの伊良湖ですが、今回はこれでプチトリップを終えることにします。

 

2024年6月14日金曜日

久しぶりのお出かけ(伊勢湾フェリー(1))

  久しぶりに家族で出かけました。伊勢湾フェリーに乗るためです。三重県松阪の自宅から、南東へ40キロほど走り、三重県鳥羽市からフェリーに乗ります。鳥羽は真珠の御木本幸吉が、明治26年(1893)世界で初めて真珠の養殖に成功したことで有名です。子どもたちに人気のジュゴンがいる鳥羽水族館は、飼育種類数日本一約1200種とのことです。

海路30㎞、60分

 鳥羽10時40分発のフェリーに乗りました。目指すは渥美半島の伊良湖です。60分で到着します。左に答志島、右に菅島、神島を見て進みます。



神島の横を通ります

 神島のむこうは太平洋です。神島といえば、原作三島由紀夫、映画「潮騒」で有名になりました。

伊良湖岬が見えてきました

 平日のこの時間帯は、フェリーの乗客は少なく、車が12台ほどで私達と同様の乗客は7人ほどでした。定員は500人だそうですが、そんな人数が集まるとは想像できません。乗客のあまりの少なさに、驚きました。伊勢湾フェリーは、1964年に開業して、今年は60周年です。60分はすぐに過ぎて、伊良湖に到着しました。南国へ来たような印象を持ちました。




2024年5月21日火曜日

大阪一泊旅(4)

  地下鉄御堂筋線に乗り、心斎橋から梅田へ移動しました。たくさんの人で、溢れかえっています。人の波にのまれそうです。梅田には大手の百貨店が四つも集まっています。それぞれが、地下で地上で、繋がっています。阪急デパートと阪神デパートは、新しくなり、デパートの上に、超高層オフィスビルが建っています。 

阪急デパートの上には超高層のオフィスビル

阪神デパートの上にもオフィスビル

JRの北側にはヨドバシカメラとビル群

JR大阪駅には大屋根

阪急デパートと、阪神デパートの、地下食料品売り場を通りました。阪急デパート下の動く歩道が、今も健在です。五十年ほど前にできました。当時日本では珍しく、よく話題にあがりました。人の歩く速さと、歩道が動く速さと、計2倍の速さで移動できます。当時三重の田舎から出てきた私は、驚くと同時に感動しました。毎日の通学で利用した、動く歩道に再会して、若かりし頃を懐かしく思い出しました。

 今回の大阪一泊旅は、古いものと新しいものを再確認した旅でした。京都からは、京阪電車に乗ったので、帰りは阪急電車で帰ることにしました。若いときに三重から、近鉄、JR,阪急、を乗り継いで通った遠い道のりが、走馬灯のようによみがえりました。いろんな思い出とともに、きらきら輝く青春時代が胸を熱くしました。

2024年5月20日月曜日

大阪一泊旅(3)

 大阪ミナミの繁華街の真ん中で、一泊した私たちは、大阪の北に位置する梅田を目指しました。千日前や道頓堀で写真を撮り、宗右衛門町を通り抜けて、御堂筋を歩きます。御堂筋は、大阪万博に向けて歩道拡幅工事中でした。私の記憶にある御堂筋は、歌とともにあります。「雨の御堂筋」「たそがれの御堂筋」は、大ヒットしました。今でも口ずさんでいます。





 古く歴史ある三津寺は、「みってらさん」と呼ばれています。本堂は築200年を超えています。都会にあるお寺の将来を見据えて、お寺とホテルが一体化しています。お寺を包み込むように、ホテルが建てられました。上を見上げれば、どーんとホテルが建っているのです。こういう建築もあるということに、驚きました。

三津寺さん



 心斎橋は、懐かしい場所です。奈良に住んでいた頃は、幼い子供を連れて心斎橋へよく出かけました。老舗百貨店大丸が、隣のそごうと一つになって、大丸として再出発しました。二つの建物は各階でつながり、広々空間で、せせこましさはありません。気持ちのいい空間です。創業昭和九年の丸福珈琲店で、ひと休みしました。

左が元そごう、右が大丸です。大丸は元の外観を残しています


側道を歩道にする工事中

 ひと休みしてから、地下鉄御堂筋線に乗り、心斎橋から本町、淀屋橋を過ぎ梅田へ移動しました。

2024年5月18日土曜日

大阪一泊旅(2)

 黒門市場を通って、大阪ミナミの中心地へ出ました。百貨店高島屋の前は、車両通行止めで、広場となっています。車がひしめき合って走っていた幹線道路が、生まれ変わったようです。広場には、テーブルやイスが置かれていて、誰でも自由に使えます。日本では、珍しい光景です。 


ヨーロッパを思い出します。百貨店高島屋の7階に上がり、遅い昼食を食べました。見晴らしの良い席で、周囲の眺めを満喫しました。

 食事のあとは、ミナミの繁華街を歩きました。泊まるホテルは、この繁華街にあります。繁華街を歩く人も、ホテルの宿泊客も、ほとんどが外国の人です。アジアの人たちが多いように思いました。夕食は、繁華街で食べました。豚まんで有名な、551蓬莱本店で食べました。

下の写真は道具屋筋商店街のお店です。飲食にかかわるお店の備品は何でもそろうようです。外国の人たちも興味深く見ておられます。暖簾や陶器を買っていかれるそうです。




2024年5月17日金曜日

大阪一泊旅

  大阪一泊旅は、ポアロの父方の菩提寺にお参りすることから始まりました。お会いしたことのないご先祖さまの方々です。命のリレーが、脈々とバトンタッチされていることに、深い感動をおぼえます。感謝の気持ちが沸き起こります。墓前で手を合わすと、心が落ち着き、ご先祖さまに見守られていることを感じます。 

 

 お墓参りを済ませて、次の目的地へと向かいました。かの有名な黒門市場です。大阪人のポアロは、今までに何度か来ています。三重県出身の私は、名前だけは知っていましたが、一度も来たことはありません。数年前から外国人旅行者に人気が出て、大阪を訪れた外国人は、必ず立ち寄るそうです。


 

黒門市場に近づくと、たくさんの外国人で、あふれています。小さな子供をつれた家族、若いカップルからシニアのカップル、グループの観光客、など、久しぶりに見る、外国人の集まりです。今流行りの食べ歩きをしています。両側にお店が立ち並び、店頭でも食べることができます。いろんなお店が並んでいますが、本来はプロが買いに来る魚屋さんが集まっていたそうです。