私は小さい頃から日記を書くことが好きでした。小学校一年生の時の絵日記は、今も手元にあります。大人になってからも、できるかぎり書き続けてきました。父も晩年まで日記を書き続けていました。
年の暮れ、テレビで「三屋清左衛門残日録(原作 藤沢修平)」を見ました。清左衛門さんが、毎日「残日録(日記)」を小筆で書く姿がかっこよく、惹きつけられました。
「残日録」・・・「日残りて 昏るるに 未だ遠し」
私は小さい頃から日記を書くことが好きでした。小学校一年生の時の絵日記は、今も手元にあります。大人になってからも、できるかぎり書き続けてきました。父も晩年まで日記を書き続けていました。
年の暮れ、テレビで「三屋清左衛門残日録(原作 藤沢修平)」を見ました。清左衛門さんが、毎日「残日録(日記)」を小筆で書く姿がかっこよく、惹きつけられました。
「残日録」・・・「日残りて 昏るるに 未だ遠し」
我が家の大晦日の楽しみは、NHKの「ゆく年くる年」を見ることです。年が明ける0時をはさんで「ゆく年が15分、くる年が15分」放送されます。全国各地の様子が中継されます。いつもどこが中継地なのか、予想しながら楽しみにしています。
今回は大きなお寺の映像から始まりました。見覚えのあるお寺で下。知恩院でした。知恩院は京都市東山区にある浄土宗総本山です。開山は法然上人です。開山から今年は850年とのことです。私の母も父も知恩院に分骨しています。これまでに何度もお参りしています。
たくさんの僧侶の方々による鐘つきは荘厳でした。数分の映像に引き込まれました。ゆく年を思い、感慨深くなりました。そしてくる年の平穏を願いました。
新しい年が始まって、早々に痛ましい出来事が続いています。暗雲の中に
立ちつくすばかりです。
我が家の小さな庭にいちごの花が咲きました。可憐な小さな白い花です。
チンゲンサイも育っています。春を感じさせてくれます。
イギリスの詩人シェリーの「冬来たりなば 春遠からじ」という言葉を思
い出しました。
新しい年がスタートして二日目に、またしても悲惨な事故が起きました。羽田空港で、航空機が海保の航空機と衝突しました。激しく燃える航空機の映像を目にして、戦争という二文字が頭に浮かびました。旅客機には乗客乗員379人が乗っていました。ニュースにくぎ付けとなり、379人全員が無事に避難できたことを知りました。一方海保の航空機乗組員6人のうち、5人が死亡されました。痛ましいことです。どういう原因があったのでしょうか。これからの調査を待たなければなりません。旅客機の乗客の皆さんは、楽しいお正月休暇の真っ只中だったはずです。楽しい日々が一瞬にして、恐怖の中に放り込まれました。多くの人の命が救われたことは、不幸中の幸いだと思うしかありません。
昨日、ブログを投稿した直後、テレビの地震速報がながれ、その後、我が家も
地震の揺れを感じました。能登地方で震度7の巨大地震が起きたと伝えています。
これまでに起きた数々の巨大地震が頭をよぎりました。新しい年が始まって、1
月1日に巨大地震が起きるとは、大きな衝撃です。ずっと、テレビの報道に釘付
けとなり、お正月ということを忘れました。被災地の大変さが伝わってきます。
これ以上被害が大きくならないことを祈り続けます。
初春のお慶びを申し上げます。みなさま、お変わりございませんでしょうか。
ずいぶん長い間、お休みしてしまいましたが、今日から再開したいと思います。
「一年の計は元旦にあり」と申しますが、新しい年に新しいことへのチャレンジ
を決意しました。ヴァイオリンのレッスンを始めたいと思います。2人の子どもが
幼い頃、ヴァイオリンのレッスンに通っていましたが、私は、全く初めてのことで
す。手元にあるあるヴァイオリンは、早40年も眠っていました。宝のもちぐされ
で、やっと日の目を見ることになりました。ヴァイオリンの持ち方から弓の動かし
方までを練習して、今日が「はじめの一歩」となりました。
人生のパートナーであるピアノとは、苦節70年を共に過ごしてまいりました。
素晴らしい友(ピアノ)に見守られながら、ヴァイオリンのレッスンに励みたいと
思います。
今年も日々の徒然をできるかぎり、綴っていきたいと思います。よろしくお願い
します。
後期高齢者の仲間入りをした私は、今「人間力」に大きな関心を持っています。若い時から摩訶不思議な人間の魅力にひきつけられ、哲学に興味を持ち、人間の心の内を研究したいと考え続けてきました。表には出ない心の内ほど、奥深いものはありません。自分の人間力を高めてきたつもりです。各人がそれなりに考え、歳とともに人間力の向上に努めてきたとばかり思い込んでいました。わずかの成長が大きな成長に繋がっていきます。最近自分の家族について、ショックを受けました。自分と同じように、人間力の向上に努めていると思っていたのは、私だけでした。他者への思いやりの欠如、失言暴言、自分勝手、我がまま、天狗となった思考回路、人間力の低さを見せつけられ失意のどん底です。いつの日か立ち直れる日が来るのか、今は暗闇の中です。
本当の祇園祭(八坂神社の神官、奉賛列を先頭に神輿が市中を練って四条の御旅所に向かいます)7月17日18:30~
まず夕刻八坂神社を出発し、石段下で3基の神輿(中御座、東御座、西御座)が威勢を挙げて市中に向かいます。
我々は二条河原町で待ち構えます。20時~21時くらいに中御座と西御座が回ってくる予定ですが4年ぶりとあって1時間ものくれてやってきました。
3年間は本格的な山鉾巡行がなかったのでいつもの河原町御池の辻回しを見に行きました。
外国人の訪日も回復し、賑わっています。37℃の予報が出て暑い日となっています。
11時ごろに先頭の長刀鉾が見えてきました。
今では死語となってしまったようなことば「設え」ですが、私は慣れ親しんできた大好きなことばです。古くから日本人の暮らしを支えてきた「設え」です。私は幼い頃から「設え」を身近に見て育ちました。父は季節季節の移り変わりにふさわしい「設え」を、当たり前のように行ってきました。襖や障子、衝立などの建具の入れ替えに始まり、絨毯から夏物のトウの敷物へ、そして団扇や風鈴などの小物を用意し、軒先には簾をかけました。そういう「設え」をする父を見て育った私は、夏への季節の移り変わりを感じました。団塊世代の私たちは、結婚すればニューファミリーと呼ばれました。実家を離れ、「設え」から遠く離れた暮らしになりました。
幼い二人の子どもをつれての里帰りは、子どもたちにとって田舎の暮らしを知る貴重な体験となりました。夏休みには、朝から水撒きをする父の手伝いもしました。夕方になればまた打ち水をして、庭に床几を出して夕涼みの準備です。蚊取り線香をつけ、線香花火を楽しみました。寝る時は蚊帳を張ってもらい、ワーワー、キャーキャー言いながら、珍しい体験を重ねました。遠い日の思い出です。
今の生活の中では、「設え」と言えるものはありません。建具を入れ替えることはありません。一年中何の変化もありません。エアコンのスイッチを暖房から冷房に代えて、扇風機を出すくらいです。父がしていたような「設え」は、暮らしの中から消えました。昔の人は大変だったけれど、季節の移り変わりを感じながら、「設え」を楽しみながら、暮らしを大切にしていたのだと、思いを馳せています。
(まるこ記)