リストのラ・カンパネラを弾いた時から、早半世紀が経ってしまいました。ラ・カンパネラを初めて聴いたのは、アメリカのピアニスト、アンドレ・ワッツが1969年に初来日した時です。テレビで彼の演奏を見て、ラ・カンパネラのとりこになりました。すぐに先生にお願いをして、レッスンを始めてもらいました。自分の力を考える余裕もなく、大好きになってしまったのです。
11ページに及ぶ楽譜を正しく読み取るということは大変なことで、それを正しく弾けるようにするのは、私には至難の技でした。ただただラ・カンパネラを弾けるようになりたいという思いひとすじでした。何カ月もかかりました。曲として仕上げて、最後は暗譜もします。そして先生から仕上げの印をもらい終了となります。自分のレパートリーの一曲となった時の感動はすごいものでした。こんな大曲、難曲が弾けるとは、凡人の努力の賜物です。こつこつ、こつこつ、千里の道も一歩からです。その通りです。宝物の一つとなりました。
その後の人生は、目まぐるしいものとなりました。結婚して二人の子どもの親となり、仕事も続けて、家庭経営だけで必死の状況でした。ピアノに没頭することは、難しくなってゆきました。子どもたちが学校へ行くようになり、少しの時間を見つけては、ピアノを弾きました。好きなショパンのエチュードや、ワルツ、ノクターン、幻想即興曲、ベートーヴェンのソナタ、悲愴や月光などを弾きました。数曲弾いただけで時間が経ってしまいます。ラ・カンパネラまでたどり着けません。こういう日々の中でラ・カンパネラの存在が遠のいてしまいました。
そんな私が再びラ・カンパネラに惹きつけられました。魂のピアニストと称されるフジコ・ヘミングさんに出会いました。ヨーロッパで活躍されてこられた彼女が、1995年に帰国されました。テレビで拝見したのが、ラ・カンパネラでした。眠っていたラ・カンパネラへの想いがよみがえりました。自分の宝物となっていたラ・カンパネラを弾こうと思いましたが、全く弾けません。長い空白の年月があります。読譜も難しくお手上げ状態です。若かった私は、遥か彼方へ行ってしまっています。無力感に襲われました。
そして先日若きピアニスト亀井聖矢さんに出会いました。現在二十歳のピアニスト、そして桐朋学園大学の学生です。初の飛び入学特待生です。その彼が十歳の時に、ラ・カンパネラを弾いて、コンクールに優勝したと知りました。刺激を受けました。もう一度、ラ・カンパネラを弾けるようになりたいという意欲がわき起こってきました。それから少しずつ弾いています。昔のようには弾けません。それでも少しずつ昔に近づけるようにと努力したいと思っています。
(まるこ記)