整理・片付けの悪い私が、たまりにたまった書類の後始末にやっとのことでこの夏とりかかっています。年代別に紙袋に入っているので、大体いつ頃のものとわかるのですが、その中に半世紀以上前のものがまぎれこんでいました。卒業を記念して作られた文集が出てきました。小学六年の時に書いた作文です。あまりの懐かしさについ読みふけってしまいました。読んでいるうちに私はタイムスリップし、小学六年生の私になっていました。その時代私はどんな子供だったのか、作文の内容から少しはわかります。言ったことばのはしばしから考え方もわかり、私はまあまあの子供だったようです。その作文を紹介します。
「母」
私の母は、お花を教えている。それでも昼までの休みがあると田へ出てゆく。そして昼からは、けいこに出て行く。母は昼までは家にいるが昼から出て行くから、私が家へ帰ると母はいない。
火曜日は、母が一日じゅう家にいるうれしい日だ。でもお昼は支部へ出かけて行く時もあるので、ハッキリしていない。中学校の姉がお昼を家に食べにくるので、母がいてほしいらしい。それでも私は、なるべく母が支部へ行って勉強できるようにしたい。
十月十八日は私の誕生日だった。みんなが贈り物をしてくれた。母はチョコレ-トなどのお菓子を贈ってくれた。私がまだ幼稚園へ行っていなかった時のクリスマスの日、祖父も生きていた日、サンタクロ-スになって、赤い服とズボンを着て、ぼうしをかぶって、ひげをつけて、私達を楽しませてくれた母、私はその時こわがってないた。そしてねているまくらもとへ、姉といっしょにくつ下をさげた。私はそのよく朝、まくらもとを見ると、絵本やお菓子がおいてあった。私はその時のことが頭の中のどこかに残っている。大きくなって、その時のことを思い出すとなんだかなつかしくなってくる。それから、今までのクリスマスまでには、だんだんと簡単になってきた。みんなで歌ってお菓子を食べて、話をして楽しむようになった。
母といっしょにおふろへ入った時、母に「人間の一生を考えるとこわくなるわ」というと、「そやで、一日一日をじょうずにつかわんとあかんわさ」と言った。母はみんなに好かれたらしい。私も、母のようにみんなから好かれる人になりたいと思った。今でも母達は、年に二回同窓会などを開いている。母はよく昔のことをいう。母は親孝行だったらしい。だから母がしらがを取ってといったら、私はとろうと思った。雨がザアザアとふる日でも、北風がふいてとても寒い日でも母は出かけて行く。私が「今日は休みなさ」というと、母は「生徒さんが待ってやで」という。私は母が病気にならないように、私でできることならなんでもしようと思った。私が家にいて、母がけいこに出ていく。なぜか悲しくなる。
母は「ここらへんが、町になってきたら、田を売ってコンクリートの学校を造り、お花やお茶を教えて、大きな看板を出すんや」といった。私もその方が母がらくだろうと思った。今日は火曜日だ。だから早く勉強をして家へ帰ろうと思う。
河原へ散歩に行くと、冷たい風が体にさわる。私はこの時、母のように大きな希望と夢を持って一歩一歩進んでいこうと思った。また、一日一日を上手に使っていこうと思った。
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