故郷の海は私にとって馴れ親しんだものです。
子供の頃は祖母の潮干狩りのお伴をして、そのシ-ズンには何度も海へ足を運びました。貝拾いに疲れた私は乳母車に寝転んで大きな声で歌います。祖母が戻ってくるまで歌います。
「うみは広いな大きいな 月がのぼるし日が沈む
うみは大波青い波 ゆれてどこまでつづくやら
うみにお舟を浮かばして 行ってみたいなよその国」
母が病気で入院手術した病院の近くにある海へは、散歩で海岸を歩きました。中学三年生の時でした。母の病状が心配で勉強どころではありません。勉強も手につかず、ピアノの練習も身が入らず、母のそばで時間を過ごす私は、海を眺め、ずっと遠くに広がる太平洋に明るい未来を期待し、波の音に癒やされました。私は小さな声で口ずさみます。
「我は海の子 白波の さわぐいそべの 松原に
煙たなびく とまやこそ 我がなつかしき 住家なれ
生まれてしおに 浴して 浪を子守の 歌と聞き
千里寄せくる 海の気を 吸いてわらべと なりにけり
高く鼻つく いその香に 不断の花の かおりあり
なぎさの松に 吹く風を いみじき楽と 我は聞く」
そしてピアノ教師になった私は、船に乗り遠い教室まで通いました。漁業組合会館の二階が教室で、海の際に建つその建物から、レッスンの合間には大好きな海を眺めていました。私の大好きな海は太平洋です。明るい海です。私は心の中で口ずさみます。
「今はもう秋 誰もいない海 知らん顔して 人がゆきすぎても
わたしは忘れない 海に約束したから つらくてもつらくても 死にはしないと
今はもう秋 誰もいない海 たったひとつの 夢が破れても
わたしは忘れない 砂に約束したから 淋しくても淋しくても 死にはしないと
今はもう秋 誰もいない海 いとしい面影 帰らなくても
わたしは忘れない 空に約束したから ひとりでもひとりでも 死にはしないと」
太平洋を眺めている時の私は、自分の未来を、明るい未来を、思い描きます。大好きな人のこと、これから出会う恋人のこと、そして夫になるかもしれない人のこと。果てしない海、太平洋はそんな私の想いに応えてくれました。ポアロ(夫)と出会い、おつきあいが進展する中、私達は海を見にいつもドライブしました。海は二人の海になりました。結婚し故郷を離れ、子供が生まれ、それからは時々しか海を見に行くことができなくなりました。それでも故郷へ帰った時、私は海に会いに行きます。私は「ただいま、久しぶり、ありがとう」と、海に向かって言っています。