まんたん(義母)と一緒に暮らし始めて三ヶ月が過ぎ、私達は大きな決断をしました。まんたんが四十年近く一人暮らしをしてきた住まいを畳み、私の実家のそばに建てた私達の家の一室を提供することにしました。八十八年の人生と共に、暮らしの品々は一人暮らしとはいえ多いこと多いこと。一所帯の生活道具は何から何まであります。引っ越しを決めた時から気が遠くなるようなこの一大事。迎えるのは一部屋です。ほとんどの物を捨てねばなりません。引っ越しの四日前の夜に私はまんたんと現地入りしました。夫は仕事で引っ越しの前夜まで来ることができません。運送屋がたくさんのダンボ-ル箱とテ-プやヒモを届けてくれています。廃棄処分も同時にしてもらえると思っていたところ、それはできないとのことで、家中の物すべて、ゴミも一緒に運んでもらうのです。
一日目は洋服ダンス、和ダンス、整理ダンス、ミニクロ-ゼットに取り掛かりました。必要な物と捨てる物の仕分けを後でするのは大変なので、まんたんが捨てると決めた物は、どんどんゴミとしてダンボ-ル箱へ入れていこうと考えていましたが、なかなかゴミとなる物が出てきません。口では「いらん物は捨てないとね」と言いながら「これはゴミね」と私が言うと「あっそれちょっとおいといて」の始末。本人の意思を尊重して仕事を進めます。近くのス-パ-で昼食にはお弁当を、夕食にはおすしを買ってきます。飲み物もペットボトルで済ませます。気の遠くなるような作業を八十八歳のまんたん相手にするのです。いくら元気とはいえ午後になると「しんどいから横になる」のセリフが出ます。私は布団を敷き「倒れるといけないからゆっくりしてて」とまんたんを寝かせ、一人黙々と作業を続けます。とにかく時間がありません。引っ越し当日は朝八時に運送屋が来ます。連日の睡眠不足で髪を振り乱しひどい形相で必死です。
二日目は食器棚を空にします。一個一個紙で包み、考えながらダンボ-ル箱へ収めていきます。まんたんは朝から「しんどい」のセリフです。始めからあてにはしていません。ほとんどを私一人でするつもりです。「しんどい」と言いながらダンボ-ルの中身が気になるようでのぞいています。自分でも忘れ去っていた懐かしい品々が、家のあちこちから続々と出てきます。私はとにかく何が何でも家の中の物すべてを箱詰めにしなければなりません。今迄に引っ越しを五回経験していますが、一所帯の荷物、家族が多ければ多いほど、住まいが大きければ大きいほど荷物はたくさんあります。住まいを空にすることの大変さは身にしみています。ため息とあせりと必死さで時間と闘います。八十八歳のまんたん相手に不可能と思われることを可能にしなければなりません。
三日目は下駄箱を空にして玄関のすべてを箱に詰めます。狭い玄関のどこにこんなにたくさんの物が隠されていたのかと驚くほど、下駄箱の下から後からいろんな物が出てくるのです。大小の本箱にはたくさんの本が並び、雑貨も一箱には収まりません。何から何まで箱に詰めていきますが本当にうんざりします。次に押入れです。布団は当日の朝布団袋へ入れるとして、他の雑物を箱に詰めます。台所の食器棚以外にも鍋多数、フライパン多数、やかんポット、米びつ、調味料多数、不思議なことは、一人暮らしなのに砂糖も塩もしょうゆも料理屋?と思うほどの大きな入れ物にたくさん入っています。大正十四年生まれのまんたんが、戦争をくぐり抜けて生きてきた証かもしれません。そして神棚もあります。冷蔵庫の中にはまだまだいろんな物が入っています。一月末から留守にして、来るたびに処分していたのですが空にはなっていませんでした。私の顔には青筋が何本も立ち、般若の形相です。ものを言う暇もありません。最低限の飲み食べです。
夫が帰宅する頃には、ダンボ-ル箱が高く積まれ、まあまあ何とか箱詰め作業が終わりました。